「この世の中に無駄なものはない。」
ということを言う人がいる。
この世の中に無駄なものはないということは「無駄」という言葉も無駄ではないということになる。
無駄なものはないというのならその無駄の意味とは何だろう。
無駄なものがないのなら「無駄」という言葉の存在が無駄ということになる。
別の視点で考えてみよう。
たとえば、効率化をするためには何が無駄であるかを知る必要がある。
「効率的な手を学ぶには無駄なことをするということを経験をする。」と言える。
要するに、効率化を図るために無駄は必要なのである。
さらに効率化した時点で今のことを考えてみよう。
「効率的な手を学ぶには『効率的な手を学ぶために無駄なことをするという経験をする。』という経験する。」
どこかプログラミングの再帰の考えに似ていますね。
新しく効率の良い手が見つかれば、それまでのことは無駄なことをした経験となる。
ということは、『』の中は元は「無駄なことをする」という事なので、逆に考えると、もし自分が今の行っている動作よりも効率がいいことを発見すれば、いま行っていることが無駄になる。
要するに、人間は無駄なことしかしていないことになる。
「この世の中に無駄なものはない。」という言葉と以上の要訳を組み合わせると、「この世の中に『効率化をするもの』はない。」ということになる。
そう考えてみると、効率化を図らないニートには無駄がない。
と考えていることが無駄である。